☐【古代から鉄の集落として知られる岡山県総社市阿曽を日本のアートの最前線に】
鬼ノ城塾は2001年4月に、阿曽で生まれた転勤族の会社員(当時52歳)の林正実が発足させました。古代吉備の鬼神・温羅(うら)伝説が残る岡山県総社市阿曽の古代山城・鬼ノ城の麓の山中で、日本を代表する現代美術家を中心とした多彩な講師による講義・討議・交流の場を年6回(偶数月の第4土曜日)に開催。建築家の隈研吾さん設計の名門ゴルフ場のクラブハウスの2階の各部屋を教室として、これまでに通算で115回の講座を開催(他に各地で課外講座も)。岡山の芸術・文化を語る上で欠かせない場(岡山の文化のサロンとも)と見なされている。
【これまでに招聘した鬼ノ城塾の講師は・・】
会田誠、山口晃、名和晃平、ヤノベケンジ、束芋などの日本を代表する現代美術家を中心に隈研吾、西沢立衛、石上純也といった建築家、美術館館長の秋元雄史、南條史生、美術評論家の椹木野衣、写真家の安齊重男・・。(詳しくは「鬼ノ城塾 過去の講座」をご覧ください)
【こんな超一流のアーティストにじかに接する学びの場は・・】
直島・地中美術館館長の時、金沢21世紀美術館館長の時、そして東京藝術大学大学美術館館長・教授の時と、これまでに3回、林の要請に応えて鬼ノ城塾の講師を務めていただいた秋元雄史さん。(それだけでなく秋元さんは建築家の西沢立衛さんの講座の時、さらに鬼ノ城塾の通算で100回目の講師の現代美術家の会田誠さんの講座の時にも金沢から鬼ノ城塾へ)
鬼ノ城塾について山陽新聞文化部の記者に問われ、秋元さんは「こんな超一流のアーティストにじかに接する学びの場は聞いたことがない・・」と(2017年6月8日・山陽新聞の記事)
阿曽の山中のゴルフ場のクラブハウスの教室における多彩な講義の後は、希望する塾生は総社市内の居酒屋(吾作・海の薫・鳥匠など)に移り、塾長の林が最も大事にする「招聘した講師を囲む飲み会」。塾生は講師を囲み、閉店時間になって店から追い出されるまで、とことん盛り上がる。 (詳しくは「総社市内の居酒屋で恒例の講師を囲む打ち上げ」をご覧ください)
2001年4月に鬼ノ城塾を発足させ主宰する総社市西阿曽在住の塾長の林正実は、東京まで行かなければ出会うことのないレベルの、日本で最も魅力的なアートシーンを年6回、岡山県総社市阿曽の古代山城・鬼ノ城の麓で実現して岡山の皆さま(四国や名古屋から通う塾生もいる)に無料で公開と。(「鬼ノ城塾 すべての講座の聴講は無料です」で検索)
■その鬼ノ城塾の教室は 、建築家の隈研吾さん設計の鬼ノ城ゴルフ倶楽部のクラブハウス。(詳しくは「隈研吾さんと鬼ノ城ゴルフ倶楽部と塾長の林正実」をご覧ください)
【鬼ノ城塾の課外講座とは】
■鬼ノ城塾の課外講座-その① 鬼ノ城塾は愛媛県宇和島の木屋旅館(現代美術家 束芋)、東京は六本木の森美術館(現代美術家 会田誠「天才でごめんなさい展」)など、県外で課外講座も。
■鬼ノ城塾の課外講座-その➁ 塾長の林は、現代アート講座だけでなく各地で古代たたら製鉄の操業指導や鋳物教室なども行う。
(例)2007.11.4. 塾長の林正実による「6世紀の古代たたら再現講座」
・阿曽の奥坂公園で林が3日かけて鬼ノ城の麓の土で炉を築き、操業は炉の両側に設置した手押しフイゴによる送風。今回は岩手県の鉄鉱石を使用。 ・その林正実の6世紀の古代たたら操業を講評のため、島根県奥出雲から来岡の「日刀保たたら・村下(むらげ)の木原明さん」。操業後の講評で、木原村下から「たたらの阿曽の村下に・・」のお言葉が鬼ノ城塾塾長の林正実へ。 (詳しくは「木原明さんと林正実」をご覧ください)
■【塾長の林の「来岡の鬼ノ城塾の講師を岡山のファンに」プロジェクト】
・鬼ノ城塾の講座前日の金曜日からの来岡を講師に要請する林は、講師たちを「塾長の林にとって岡山のソウルフード」の魚、鰆(サワラ)・ヒラ・ママカリ・鱧(はも)、そして岡山バラ寿司などを提供する店(岡山市の福寿司や磯、総社市の吾作など)に案内、岡山の海山の幸を堪能いただく。(詳しくは「林正実にとって岡山の魚・ソウルフードのサワラ」をご覧ください)
・さらに来岡の講師たちは林の案内で古代山城・鬼ノ城を巡り、その後は吉備津神社御釜殿で阿曽女(あそめ)による鳴釜神事を体験。林が招聘した鬼ノ城塾の講師たちは、先端の技術で古代吉備を導いたと伝わる阿曽の鬼神・温羅(うら)、そして温羅の妻の阿曽媛(あそひめ)と出会う。
■総社市阿曽から大阪へ新幹線通勤の会社員(東京・大阪・福岡・そして再度の大阪勤務)の傍ら、鬼ノ城塾塾長の林は「大正時代に絶えた吉備の酒米『都』」を復活(1997年)させ、「堀家住宅の利用を考える会」(2003年)、「阿曽の火祭り」(2005年)を発足させてきた。(詳しくは「酒米の都」をご覧ください)
・「林が募集した「酒米の都を使う酒造り会員」が、今も三宅酒造において「酒造り大学」として引き継がれているのはとてもうれしいと林。
・寄付された堀家を管理していた市役所職員のSさん、当時の山陽新聞の総社支局長のNさん。お二人のお力添えで「堀家住宅の利用を考える会」が。
・塾長の林は、岡山市が行う祭の「うらじゃ」に協賛。先端の技術で古代吉備を導いたと伝わる総社市阿曽の鬼神・温羅(うら)を顕彰できるならと岡山市の桃太郎祭りの運営委員会の要請に応えて、鬼神・温羅の火を阿曽の古代山城・鬼ノ城山頂で採火して、桃太郎祭りの岡山・旭川の花火大会会場(打ち上げ花火の第一発目の種火として)に届ける「阿曽の火祭り」を立ち上げた。(詳しくは「阿曽の火祭り」をご覧ください)
転勤族の会社員の傍ら、鬼ノ城塾塾長の林正実が立ち上げてきたこれら三つの活動(現在は関わっていない)が、時を経て、再び鬼ノ城塾との協働へ繋がって、岡山がもっと元気になればいいなあと林。
☐【鬼ノ城塾のこれから】
転勤族の会社員として、岡山県総社市阿曽から大阪への新幹線通勤の傍ら、2001年に52歳で鬼ノ城塾を立ち上げた林正実も後期高齢者の仲間入り。
それでも、新型コロナを初めとする諸々の感染症の不安が十分に収束すれば、そろそろ鬼ノ城塾を再開したいな。
発足時から、塾生から「鬼ノ城塾は林さんの道楽」と言われてきたが、できればもう少し「林の道楽」を続けたい。でも、これからは、クラウドファンディングなど皆様からの支援の導入も検討すべきかと林。
阿曽の古代山城・鬼ノ城に拠って、先端の技術で古代の吉備を導いたと伝わる渡来の鬼神・温羅(うら)。その温羅(鬼)と吉備津彦命(桃太郎)と吉備津神社の伝承とが濃厚に交錯する「阿曽の鋳物」の物語。
いま、たたら製鉄の阿曽の村下(むらげ)、そして阿曽の鋳物師と評される鬼ノ城塾塾長の林正実の、阿曽の鋳物再興への夢。
傷みが目立つ「阿曽の鋳物灯籠(阿曽の鋳物師が明治18年5月に再建)」をどうするか。
やりたいことがまだまだ山積。それでも、ここからはしっかりと後期高齢者としての自覚をもって、無理をせず、できる範囲で、鬼ノ城塾を、そして吉備の鉄とアートのコラボレーションを全国に発信していきたいと林は言います。
ひき続き、鬼ノ城塾への、皆さまのご支援をお願い申し上げます。
(2025年12月24日)
鬼ノ城塾 =
岡山のサワラと鬼ノ城塾の講師達 + 講義前ミーティング + 講義 + 懇親会 + 総社市内の居酒屋での講師を囲む打ち上げ + 課外講座

林正実|はやしまさみ 鬼ノ城塾塾長 阿曽の鋳物師
1948年岡山県生まれ。企業のメセナ事業を通して日本各地の芸術・文化・アート・地域貢献活動との関わりを深める。福岡県博多在勤時の1990年に始まった慶応義塾大学三田キャンパスにおけるアートマネジメント・プロデュースのオムニバス講座に博多から毎週末参加。南條史生氏との出会いにより現代アートの魅力を知る。アートプロデューサー・アートディレクターとしての活動をまず博多と東京のアーティストを繋ぐかたちで開始。 1995年、博多から再度の大阪転勤を機に岡山県総社市阿曽の実家へ。平日の大阪への新幹線通勤の傍ら日本古来の製鉄技術の「たたら」の修行に入り、島根県奥出雲の木原明氏と出会う。1997年、大正時代に絶えた吉備の酒米「都(みやこ)」を阿曽の自宅前の休耕田で復活させ、酒米を地元の三宅酒造に提供するとともに酒造り会員を募集、できた酒を吉備の国ゆかりの鬼と鉄の「鬼鐵(おにてつ)」と命名して販売開始。2001年、隈研吾氏設計の鬼ノ城ゴルフ倶楽部のクラブハウスを拠点に「鬼ノ城塾」、2003年、堀和平ゆかりの総社商店街筋の古民家を再生する「堀家住宅の利用を考える会」、2005年、岡山市の祭りの「うらじゃ」に協賛して阿曽の鬼神・温羅(うら)を顕彰する「阿曽の火祭り」を発足させた。2007年12月、三菱UFJニコス退職。翌月の2008年1月から「鋳物(いもの)」の修行に入り、林秀弘氏の教えを受ける。同時に古来、吉備津神社との関係が深い阿曽の鋳物を再興する「阿曽の鋳物60年プロジェクト」をスタートさせる。上田秋成の雨月物語の「吉備津の釜」そして「梁塵秘抄」にも記されている吉備津神社御釜殿の「鳴釜神事に使われる釜」の鋳替え(古来、阿曽の鋳物師によっておよそ60年に一回、釜の鋳替えの神事が行われてきた)を再び阿曽の鋳物師の手に取り戻すための、最後の阿曽の鋳物師としての企て。「総社芸術祭2019」の前夜祭において古代たたら製鉄の操業を阿曽の村下(むらげ)として実現するなど各地で「たたら製鉄」の操業の指導や「鋳物体験教室」を開催するなど古代からの吉備の文化・民俗・伝統技術の地域への伝承活動を現代アートと連携させながら続ける。福武文化奨励賞(2017)。
