隈研吾さんと岡山の鬼ノ城ゴルフ倶楽部と塾長の林正実

平成17年(2005年)の鬼ノ城塾8月講座の講師として、塾長の林正実は建築家で慶應義塾大学工学部教授(当時)の隈研吾さんを招聘しました。
隈さんは、鬼ノ城塾が平成13年(2001年)4月講座から教室を提供いただいている鬼ノ城ゴルフ倶楽部のクラブハウスを設計されています。

鬼ノ城塾8月講座の講師を快く引き受けてくださった隈研吾さんから出された条件(?!)は、講義の前にコースに出てプレイしたいというものでした。
8月ということもあり、林が「それでは講師の件は秋に変更しましょうか」と隈さんにお伺いすると、「暑いのは気になりません」とのお返事だったそうです。
もう一つの難題は、隈さんに誰とコースを回っていただくか。塾長の林しかいないという事になったそうですが、実は20年以上クラブを握っていない林は、それは残念ながら辞退するしかなかったのですと、本当にくやしそうでした。

隈さんは始発の飛行機で岡山空港に到着、コースへ出てハーフをプレイ。シャワーを浴びて鬼ノ城塾の講師を務められました。夜の懇親会まで参加いただき、岡山空港から最終の飛行機で帰京されました。往復の運転手は林が務めました。

翌年の平成18年に、林は「アート教育プログラム2006」という大それた講座(シンポジウム)をクラブハウスで企画します。8人の錚々たる講師と、4人の岡山の工芸家によるシンポジウムで、隈研吾さんもその8人の講師の一人として参加いただくというもの。これは反省の多い講座になったと林は言います。
隈研吾さんには、この企画も気持ちよくお受けいただきました。空港からクラブハウスに入り、レストランで昼食を摂っているときに、隈さんは風邪で微熱があることが判明。しかも翌日は仕事で中国に向かうとのこと。それでも夜の懇親会までこなしていただき、大阪へ。翌日は朝一で、関空から中国へ向かうとのこと。体調不良のなか、隈研吾さんには本当に感謝あるのみと林正実。

そろそろ3回目の講師をお願いしたいなと考えた林は隈さんにメールで連絡を入れましたが、東京オリンピック・パラリンピックのメイン競技場としての国立競技場設計の話が絡んできた頃で、申し訳ありませんが今はそういった件はお断りさせていただいていますとのことでした。オリンピック・パラリンピックが無事終わり、隈さんも落ち着かれた頃に、ぜひもう一度、鬼ノ城塾へお出でいただきたいと林は話します。隈研吾さん、総社市阿曽でお待ちしています!