阿曽の火祭りと林正実

平成16年(2004年)に岡山市の桃太郎祭り運営委員会から要請を受けた鬼ノ城塾塾長の林正実は、阿曽地区の有志に声をかけ、古代山城・鬼ノ城の山頂で採火した「鬼神・温羅(うら)の火」を岡山市の旭川河畔で桃太郎祭り前夜祭の花火大会会場まで届けました。このときは花火大会直前の岡山からの要請で、温羅の火の行列は肝心の地元の阿曽地区を素通りせざるを得ませんでした。

翌年の平成17年、鬼ノ城塾塾長の林正実は事前に広く阿曽の有志に声をかけ、鬼ノ城の山裾にある(鬼神・温羅の妻の阿曽媛ゆかりの)阿宗神社で「温羅の火」を一泊させ、境内で温羅の魂を鎮める様々の行事を行いました。そして林はこれを「第1回阿曽の火祭り」と命名したのです。
また林正実の要請が受けいられて、通算で第7回目からの「阿曽の火祭り」は阿曽地区コミュニティ協議会主催の開催となりました。

古代山城・鬼ノ城山頂における温羅の火の採火式にも林は趣向をこらします。復元なった西門前広場に祭壇を設け、鬼神・温羅と阿曽媛と従者たちが整列し、阿宗神社宮司による温羅の魂の降臨の儀式、そして古式による採火式と続きます。そして山を下り、阿宗神社まではタイマツを掲げた行列が地区を巡ります。
阿宗神社の境内では約千本の大小のローソクを灯して、神事、楽曲の演奏、そして恒例の地元の阿曽小学校児童による朗読劇「温羅と桃太郎」等が行われます。募集に応じてくれた児童への朗読劇の指導は、毎年塾長の林が行いました。

阿宗神社で一泊した「鬼神・温羅の火」は、翌朝には神社を出発し、吉備津神社へ向かいます。ここで岡山市の桃太郎、桃太郎の妻、そして従者たちの部隊と合流し、御釜殿での神事の後は、旭川の花火大会の会場目指して行進となります。その行進の途中では、首塚等の温羅ゆかりの場所もいくつか訪ねます。

平成28年の「第12回阿曽の火祭り」は開催できましたが、その翌年は岡山県警が花火大会会場の規制を厳しくしたことで、温羅の火を花火大会の第一発目の打ち上げ花火の種火として届けることができなくなってしまいました。「阿曽の火祭り」も休止として、県警の対応をみることとして現在に至っています。
第1回目から実行委員長としてこの行事を牽引してきた林正実は、もし岡山市の部分が再開されることがなければ、阿曽地区の「阿曽の火祭り」だけの開催も改めて検討したいと話しています。「阿曽の火祭り」の再開が待たれる。