日刀保たたら村下の木原明さんと阿曽の林正実

博多から再度の大阪転勤となったのを機に林正実は岡山県総社市阿曽の実家に戻り、大阪への新幹線通勤の傍ら週末は「たたら」の修行に入りました。
奥出雲の「日刀保たたら」のただ一人の村下(むらげ)で国選定保存技術保持者の木原明さんのことがずっと以前からから念頭にあったと林は言います。

林は木原さんが島根県外で「たたら」の体験操業を行うイベントのほとんどに参加し、木原さんの脇で「築炉から操業の全て」を見守る(門外不出の秘伝の技術のため)ことを続けました。平成7年・8年に木原さんが岡山市の吉備津神社で行った「たたら」はもちろん、岡山県外での体験操業にもほとんど参加。真冬の奥出雲の「日刀保つたたら」での本操業にも入れていただきました。
そして阿曽の自宅へ帰ると一人で小型の炉を築いては操業を繰り返しました。週末、10回そして20回と「1人たたら」を繰り返し、少しずつ炉も大きくして、現在林が行う120センチの高さの炉でも良い結果がだせるまでに。
古代山城・鬼ノ城の山裾のブレンドした土を用い、原則は林一人で黙々と3日かけて炉を築く。送風は手押しフイゴを炉の両側に設置して行う、林正実の「古代たたら」操業のスタイルは、ここからきていると思われます。

平成12年10月に、その林正実が地元の阿曽小学校と岡山県教育委員会の要請で古代山城・鬼ノ城の麓で盛大に行った「古代たたら製鉄」の操業には木原明さんが操業の当日に来岡。ケラ出しの後に林への厳しい講評を行いました。
そして平成19年11月に、やはり林が鬼ノ城の麓の奥坂公園で鬼ノ城塾の課外講座として行った「古代たたら製鉄」の操業にも木原さんは操業当日に来岡、やはりケラ出し後に参加者全員を前に操業全般の講評をしてくださいました。

そしてその後の総社市内の居酒屋での打上げの席で、木原さんから「林さんももう阿曽の村下(むらげ)くらいは名乗っていいかな」との、過分なお言葉をいただきました。この後、林は阿曽の村下を名乗るように。

その木原明さんが、東方文化支援財団(文化支援を行う寺田倉庫の中野さんが牽引)が設立したAsian Culture Awardの第1回目のAsian Culture Award 2020を受賞されました。林は木原さんを推薦させていただいた。そして受賞のお知らせを林が電話で差し上げた時に、木原さんが「名誉なことです。林さん、ありがとうございました」と喜んでくださったこと。いささかなりと、木原さんへ恩返しができたのではと、本当にうれしく思っていますと塾長の林正実。