シンポジウム

symposium012016.11.12 シンポジウム「吉備と釜山と榎忠を語る」の開催を待つ榎忠さん、
椹木野衣さん、そして林正実のパネラー3人衆。

symposium0210月15日(土)に総社市の砂川公園で行った「6世紀の古代たたら」の話
(忠さんに何としても6世紀の鉄を届ける)から始めるパネラーの林正実。

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symposium08シンポジウム終了後は「鐵と榎忠展」を開催中の総社アートハウスで打上げがありました。
話したりないのか、さらに語り続ける榎忠さん、椹木野衣さん、そして林正実の3人。

symposium09シンポジウムの翌日。林は東京と神戸に帰る椹木さんと榎さんを送って岡山へ。
いつぞやの鰆(さわら)をあの寿司屋で食べたいとの椹木さんのアンコールで、
11時の寿司屋の開店を待って入店。
刺身をお茶でというわけにはいかないよね、とまずビール。
さらに椹木さんは冷酒、忠さんと林は焼酎のお湯割りの宴会に。
2時15分発の「のぞみ」で帰京の椹木さんを改札口で送って、シンポジウムは終了しました。

 


 

パネリスト プロフィール

 

榎 忠(えのき ちゅう)

1944年香川県善通寺市生まれ。60年代後半から関西を中心に活動。70~76年の集団での活動を経た後、街中での会場探しからはじめ、自ら展覧会全体を作り上げることを行ってきた。型破りなパフォーマンスや、銃や大砲など現代社会における刺激的な題材を扱った作品、金属の廃材に新しい生命を吹き込んだ作品など、独自の世界を展開。 代表作「ハンガリー国にハンガリ(半刈り)で行く」(1977年)をはじめ、個展「その男、榎忠」(キリンプラザ大阪 2006年)、「ギュウとチュウ ―篠原有司男と榎忠―」(豊田市美術館 2007年)、個展「榎忠展 美術館を野生化する」(兵庫県立美術館 2011年)など。 2015年には、高野山開創1200年特別企画展「いのちの交響」(高野山総本山金剛峯寺内/和歌山)に出品。2016年9月3日から11月30日まで「釜山ビエンナーレ2016」に出品中。美術館やギャラリーに限ることなく、現在も神戸を拠点に制作を続けている。2013年、紺綬褒章受賞。

 

椹木 野衣(さわらぎ のい)

1962年埼玉県秩父市生まれ。美術批評家。主な著作に『増補シミュレーショニズム』(ちくま学芸文庫)、『日本・現代・美術』(新潮社)、『「爆心地」の芸術』(晶文社)、『戦争と万博』(美術出版社)、『太郎と爆発――来たるべき岡本太郎』(河出書房新社)、『反アート入門』(幻冬舎)『後美術論』(第25回吉田秀和賞受賞、美術出版社)、『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎)、『戦争画とニッポン』(会田誠との共著、講談社)、『日本美術全集 19 拡張する戦後美術』(責任編集、小学館)などがある。キュレーションを手掛けた展覧会に「アノーマリー」(レントゲン藝術研究所)、「日本ゼロ年」(水戸芸術館)、「釜山ビエンナーレ2016 プロジェクト1」(釜山市美術館)ほか。帰還困難区域内で開催中の見に行くことができない展覧会「Don’t Follow the Wind」実行委員。「グランギニョル未来」(赤城修司、飴屋法水、山川冬樹)の一員として同展に出品参加もしている。現在、多摩美術大学美術学部教授、芸術人類学研究所所員、美術評論家連盟常任委員長。

 

林 正実(はやし まさみ)

鬼ノ城塾塾長、阿曽の鉄師。1948年岡山県生まれ。企業のメセナ活動を通して各地の芸術・文化・アート・社会貢献との関わりを深める。博多在勤時の1990年に始まった慶応義塾大学のアートマネジメント・プロデュースのオムニバス講座に博多から参加。アートプロデューサー・アートディレクターとしての活動を博多と東京を結ぶ形で始める。1995年、博多から大阪への転勤を機に、総社の実家を拠点に日本古来の製鉄技術である「たたら」の修行に入る。2001年、「鬼ノ城塾」、2005年に「阿曽の火祭り」を発足させる。2007年12月、三菱UFJニコス退職。翌月の2008年1月から鋳物の修行に入る。古来、吉備津神社との関係が深い阿曽の鋳物を再興する「阿曽の鋳物60年プロジェクト」に着手。昔より阿曽の鋳物師が行ってきた吉備津神社・御釜殿の鳴釜神事に使われる釜の鋳替え(60年に一回)を、再び阿曽の鋳物師の手に取り戻すことを目的とし、最先端の現代アートとのコラボレーションによる阿曽の鉄(たたら製鉄と鋳物)の再生と伝承をすすめる。